日本人に生まれたからこそ
- 2011/07/30(土) 20:30:44
研究の相方のベトナム人。彼と出会ったのは、丁度今から二年ほど前のことである。一年間同じクラスにいたにもかかわらず、彼の存在すら知らなかったし、おそらく向こうも同じであっただろう。もし、当時のルームメイトだったアメリカ人の紹介がなければ、彼とは一度も言葉を交わす機会はなかったかもしれない。今年の春に、彼はコンピュータ工学部の主席として、自分はコンピュータ科学部の主席としてそれぞれの学部を卒業し、現在ではルームメートとして彼は大学院へ、自分は残りの心理学の専攻で学んでいる。
自分は、基本的に人に興味を持つことが少ない。皆がすごいという人に出会えば、どうしてもまずは懐疑的になってしまうし、かといって誰にも知られていないすごい人は、何分目立ちはしない。
本音を語れば、当時、自分は共に学ぶ多くの大学生にすっかり呆れてしまっていた節がある。課題を期限通りに提出できない学生、試験の結果に教授を非難する学生、グループワークで全く仕事をしない学生、しかし口だけは達者な学生。真面目にやっている自分が馬鹿を見る日々にすっかり嫌気がさしていた。
しかし、その思いも彼との出会いで払拭された。問題は、何を持って「馬鹿を見る」とする事であった。少ない投資で最大限の利益を得ることを目的とする際に、その利益の指標を何に求めるかという事である。仮にその利益を目先の成績などの結果で測ろうとすれば、確かに多くの無駄はあったであろう。しかし、ここで言う利益の本当の指標は、知識や経験の豊富さを持って測られる自分自身の成長の値であるべきだと気づかされたのだ。今まで「馬鹿を見る」と思っていたことは、むしろ自分にとって好機であったという発想の転換であった。
自分をもし勤勉と呼べるのであれば、正直、見栄を守るためだけに、義務感を金箔で塗り立ててそれを幸せと呼んだ結果に相違はなく、それは多くの闇の部分を含蓄していた。一方で彼の勤勉さの根源は、純粋な学習欲にあるように見えた。食事中であれ、移動中であれ、休みの日であれ、寝る間を惜しんで学ぶことに努め、しかし彼もそれを幸せと呼んだ。ある日のこと、徹夜明けにもかかわらず、ご飯を食べながら論文を読む彼に「勉強しすぎなんじゃないか。」と尋ねると「自分はまだまだ。」と答えた。「それに・・・」と言い、目を少し伏せて「勉強していないと罪悪感を感じるんだ。」と小さな声でつぶやいた。
自分はかつて高校留学時代、クロスカントリーという長距離走の部活に属し、それなりの好成績を上げた。よく仲間には「体力があっていいね。」と言われたが、決してそうではなかった。自分にとって長距離走が必要とするものは、体力以上に精神力であり、それは速い人を一人選び、最後までその人についていくという信念を貫き通せるか否かの戦いであった。
多くの人は、努力を惜しまない人を見て、「努力をできる才能のある人」と敬意を込めて言う。しかし、自分はその考え方を到底許容することができない。あるインタビューで、イチローはこう言った。「僕を天才と言う人がいますが、僕自身はそうは思いません。毎日血が滲むような練習を繰り返してきたから、いまの僕があると思っています。僕は天才ではありません。」一見雲の上の存在のように感じる人であっても、誰でも初めは同じように生まれ、育ち、ただ単純にどこかの岐路で何かを信じてその険しそうな道を選んだだけのことなのである。才能の有無ではなく、それは誰しも持ち得る選択肢。だからこそ、そんな簡単な言葉で切り捨てていい物ではないと自分は考えるのだ。そして、それ以上に、そんな言葉を使い始めた途端に、自身の人生を「努力する才能がない」ことを理由に悲観する余地を生み出すだけである。才能は無くても努力だけは誰でもできると信じることで、可能性は誰の元にでもあると言う希望を決して失うべきではないと考えるからだ。
ポジティブ心理学の生みの親として有名な心理学者マーティン・セリグマンは、失敗や絶望などで無力感を学んだ人は、それ以降同じ状況に陥った際にもはや挑戦さえをもしなくなるという学習性無力感を証明した。彼の有名な犬を使ったその実験では、檻の床に電気を流した際に、ボタンを押せばそれが止まることを経験した犬と、何をしても電流が止まらないことを経験した犬それぞれを、柵で二つに分けられた檻の片側に入れ、犬のいる側の床に電流を流した。結果、前者のグループの犬はこの電流を止める方法を模索し、柵を跳び越え反対側に行けば回避できることを学習した一方で、後者の犬は、動くことさえせずその電流を全身で受けることを甘んじた。彼らはこの実験に改良を加え、猿や人間においても同様の学習が起こることを示し、「あらかじめ、自分の力で事態を変えられることを学んでいれば、無力感に陥らずにすむ。人生の早い段階でこれを学べば学ぶほど、無力に対して有効な免疫力をつけることができる。」と結論づけた。
それをふまえて考えると、今日の日本の教育の下では子供達の自信が育ち難いという話にも合点がいく。ジャーナリスト櫻井よしこは、彼女の米国での大学生活を振り返って以下のように指摘する。「日本での教育が、あれはいけない、これも問題がある、だからしない方がよいといういわば減点方式と受動に陥りがちなのに対して、米国での教育は完全に加点方式と能動を特徴としている。夢を描いたら挑戦してご覧なさい。こうしたいと考えたらやってみなさい。どんなことでも尻込みしたりあきらめたりしないで突き進んで御覧。他人に迷惑をかけてはならないけれど、自分の責任で、何でもやって御覧、という具合なのだ。」日本では、子供達から様々な種類の挑戦の機会を奪ったあげく、管理された流れの元、偏差値や学校名を競うだけの受験戦争に突入させられる。結果として、前者の犬と後者の犬の差を明確にするだけであり、更に前者の犬の多くでさえ、学校名で人生安泰だと勘違いをし挑戦することを止めてしまう。「思いは人生を形づくる。若いカエサルの胸には、常識的な可能性の範囲を超えた、自分の人生に対する大きな期待があった。将来必ずや歴史的な偉業をなすのだ、という思いである。」果たしてこの土壌でどれだけの、そのような強い思いや大きな夢が育ち、それを追求できる人材が実り得るというのだろうか。
一方で、米国式の個人主義を手放しに褒めることもできない。自己の拡大は同時に、公共の安寧から個人の幸せへの移行を意味する。セグリマンは、結果として、社会が個人の喪失感を慰めてくれるという保証を失うことになると指摘する。政治不信に自国に対する信頼が揺らいでいる今だからこそ、これは更に大きな問題である。
少なくとも自分はといえば、それらの問題を意識した上で挑戦する道を選ぶことを心に決めている。まずは、失敗、後悔、挫折。そういう類の物は自分の人生においてないことにしている。夢を高く持ち、それをゴールとするならば、死ぬその時までその結果を知る術はない。それぞれの一歩を失敗にするか、進歩のための必要なステップにするかは自分次第であり、後悔し挫折する事の意味は、おおよそ時間の浪費でしかないと考えるからだ。大切なことは、どんな苦境にあっても自分を信じるという信念だけは堅持するということだ。そして、そんな自分を決して裏切らないと誓う強い責任感がその信念を支えるのだと考える。
そして、そんな個人主義の弱さである精神面を支えるものを、国であり、宗教であり、家族であり、そんな日本人の原点に戻った考え方に見いだす。浅田次郎の終わらざる夏にこんな一節がある。「自分が幸福を感じたとき、その幸福がいったい誰によって、何によってもたらされたのかを、必ず考えなければいけない。そうでなければ幸福を受けとめる資格がない。」感謝の気持ちを忘れないと言うことは、同時に自分はより大きな存在に見守られているのだという精神的支えを生み出すことになる。だからこそ、気兼ねなく精一杯突き進むことができるようになるのだと信じている。
先日、例のベトナム人の学生と共著した論文が、ポーランドとカナダのIEEE学会で認められ、発表するために招待された。教授や研究者陣に混じって、高々学部生の二人の論文が認められたのだから心底喜んだ。しかし、それもつかの間、彼は渡航ビザの発行が最大三ヶ月かかるという事実を知り、参加を諦めざるを得なくなった。一方で自分は日本人というだけで、どちらの国もビザさえ求めない。日本という国が自分の後ろにあるありがたみを知る。恒産なくして恒心なしとあるが、飲み会やらアルバイトに明け暮れる多くの日本の大学生を見ると、恒産ある日本に失われつつある恒心を思い憂鬱になる。学びたくても学ぶことができない人が数多くいるこの世の中で、この日本という国に生まれたからには、その尊さを次の世代に受け渡せるだけの価値のある人生を送って欲しいと思う日々である。
自分は、基本的に人に興味を持つことが少ない。皆がすごいという人に出会えば、どうしてもまずは懐疑的になってしまうし、かといって誰にも知られていないすごい人は、何分目立ちはしない。
本音を語れば、当時、自分は共に学ぶ多くの大学生にすっかり呆れてしまっていた節がある。課題を期限通りに提出できない学生、試験の結果に教授を非難する学生、グループワークで全く仕事をしない学生、しかし口だけは達者な学生。真面目にやっている自分が馬鹿を見る日々にすっかり嫌気がさしていた。
しかし、その思いも彼との出会いで払拭された。問題は、何を持って「馬鹿を見る」とする事であった。少ない投資で最大限の利益を得ることを目的とする際に、その利益の指標を何に求めるかという事である。仮にその利益を目先の成績などの結果で測ろうとすれば、確かに多くの無駄はあったであろう。しかし、ここで言う利益の本当の指標は、知識や経験の豊富さを持って測られる自分自身の成長の値であるべきだと気づかされたのだ。今まで「馬鹿を見る」と思っていたことは、むしろ自分にとって好機であったという発想の転換であった。
自分をもし勤勉と呼べるのであれば、正直、見栄を守るためだけに、義務感を金箔で塗り立ててそれを幸せと呼んだ結果に相違はなく、それは多くの闇の部分を含蓄していた。一方で彼の勤勉さの根源は、純粋な学習欲にあるように見えた。食事中であれ、移動中であれ、休みの日であれ、寝る間を惜しんで学ぶことに努め、しかし彼もそれを幸せと呼んだ。ある日のこと、徹夜明けにもかかわらず、ご飯を食べながら論文を読む彼に「勉強しすぎなんじゃないか。」と尋ねると「自分はまだまだ。」と答えた。「それに・・・」と言い、目を少し伏せて「勉強していないと罪悪感を感じるんだ。」と小さな声でつぶやいた。
自分はかつて高校留学時代、クロスカントリーという長距離走の部活に属し、それなりの好成績を上げた。よく仲間には「体力があっていいね。」と言われたが、決してそうではなかった。自分にとって長距離走が必要とするものは、体力以上に精神力であり、それは速い人を一人選び、最後までその人についていくという信念を貫き通せるか否かの戦いであった。
多くの人は、努力を惜しまない人を見て、「努力をできる才能のある人」と敬意を込めて言う。しかし、自分はその考え方を到底許容することができない。あるインタビューで、イチローはこう言った。「僕を天才と言う人がいますが、僕自身はそうは思いません。毎日血が滲むような練習を繰り返してきたから、いまの僕があると思っています。僕は天才ではありません。」一見雲の上の存在のように感じる人であっても、誰でも初めは同じように生まれ、育ち、ただ単純にどこかの岐路で何かを信じてその険しそうな道を選んだだけのことなのである。才能の有無ではなく、それは誰しも持ち得る選択肢。だからこそ、そんな簡単な言葉で切り捨てていい物ではないと自分は考えるのだ。そして、それ以上に、そんな言葉を使い始めた途端に、自身の人生を「努力する才能がない」ことを理由に悲観する余地を生み出すだけである。才能は無くても努力だけは誰でもできると信じることで、可能性は誰の元にでもあると言う希望を決して失うべきではないと考えるからだ。
ポジティブ心理学の生みの親として有名な心理学者マーティン・セリグマンは、失敗や絶望などで無力感を学んだ人は、それ以降同じ状況に陥った際にもはや挑戦さえをもしなくなるという学習性無力感を証明した。彼の有名な犬を使ったその実験では、檻の床に電気を流した際に、ボタンを押せばそれが止まることを経験した犬と、何をしても電流が止まらないことを経験した犬それぞれを、柵で二つに分けられた檻の片側に入れ、犬のいる側の床に電流を流した。結果、前者のグループの犬はこの電流を止める方法を模索し、柵を跳び越え反対側に行けば回避できることを学習した一方で、後者の犬は、動くことさえせずその電流を全身で受けることを甘んじた。彼らはこの実験に改良を加え、猿や人間においても同様の学習が起こることを示し、「あらかじめ、自分の力で事態を変えられることを学んでいれば、無力感に陥らずにすむ。人生の早い段階でこれを学べば学ぶほど、無力に対して有効な免疫力をつけることができる。」と結論づけた。
それをふまえて考えると、今日の日本の教育の下では子供達の自信が育ち難いという話にも合点がいく。ジャーナリスト櫻井よしこは、彼女の米国での大学生活を振り返って以下のように指摘する。「日本での教育が、あれはいけない、これも問題がある、だからしない方がよいといういわば減点方式と受動に陥りがちなのに対して、米国での教育は完全に加点方式と能動を特徴としている。夢を描いたら挑戦してご覧なさい。こうしたいと考えたらやってみなさい。どんなことでも尻込みしたりあきらめたりしないで突き進んで御覧。他人に迷惑をかけてはならないけれど、自分の責任で、何でもやって御覧、という具合なのだ。」日本では、子供達から様々な種類の挑戦の機会を奪ったあげく、管理された流れの元、偏差値や学校名を競うだけの受験戦争に突入させられる。結果として、前者の犬と後者の犬の差を明確にするだけであり、更に前者の犬の多くでさえ、学校名で人生安泰だと勘違いをし挑戦することを止めてしまう。「思いは人生を形づくる。若いカエサルの胸には、常識的な可能性の範囲を超えた、自分の人生に対する大きな期待があった。将来必ずや歴史的な偉業をなすのだ、という思いである。」果たしてこの土壌でどれだけの、そのような強い思いや大きな夢が育ち、それを追求できる人材が実り得るというのだろうか。
一方で、米国式の個人主義を手放しに褒めることもできない。自己の拡大は同時に、公共の安寧から個人の幸せへの移行を意味する。セグリマンは、結果として、社会が個人の喪失感を慰めてくれるという保証を失うことになると指摘する。政治不信に自国に対する信頼が揺らいでいる今だからこそ、これは更に大きな問題である。
少なくとも自分はといえば、それらの問題を意識した上で挑戦する道を選ぶことを心に決めている。まずは、失敗、後悔、挫折。そういう類の物は自分の人生においてないことにしている。夢を高く持ち、それをゴールとするならば、死ぬその時までその結果を知る術はない。それぞれの一歩を失敗にするか、進歩のための必要なステップにするかは自分次第であり、後悔し挫折する事の意味は、おおよそ時間の浪費でしかないと考えるからだ。大切なことは、どんな苦境にあっても自分を信じるという信念だけは堅持するということだ。そして、そんな自分を決して裏切らないと誓う強い責任感がその信念を支えるのだと考える。
そして、そんな個人主義の弱さである精神面を支えるものを、国であり、宗教であり、家族であり、そんな日本人の原点に戻った考え方に見いだす。浅田次郎の終わらざる夏にこんな一節がある。「自分が幸福を感じたとき、その幸福がいったい誰によって、何によってもたらされたのかを、必ず考えなければいけない。そうでなければ幸福を受けとめる資格がない。」感謝の気持ちを忘れないと言うことは、同時に自分はより大きな存在に見守られているのだという精神的支えを生み出すことになる。だからこそ、気兼ねなく精一杯突き進むことができるようになるのだと信じている。
先日、例のベトナム人の学生と共著した論文が、ポーランドとカナダのIEEE学会で認められ、発表するために招待された。教授や研究者陣に混じって、高々学部生の二人の論文が認められたのだから心底喜んだ。しかし、それもつかの間、彼は渡航ビザの発行が最大三ヶ月かかるという事実を知り、参加を諦めざるを得なくなった。一方で自分は日本人というだけで、どちらの国もビザさえ求めない。日本という国が自分の後ろにあるありがたみを知る。恒産なくして恒心なしとあるが、飲み会やらアルバイトに明け暮れる多くの日本の大学生を見ると、恒産ある日本に失われつつある恒心を思い憂鬱になる。学びたくても学ぶことができない人が数多くいるこの世の中で、この日本という国に生まれたからには、その尊さを次の世代に受け渡せるだけの価値のある人生を送って欲しいと思う日々である。
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Pray for Japan
- 2011/03/19(土) 14:29:04
スクリーンに映る海を隔てた国の惨状が、あまりにも現実離れしていて、真実だと解りながらもそれを受け入れられない。おもちゃの様に流れていく家や漁船、人の背後にある生活や人生、家族を思うとひたすらやるせない。人一人が殺されて騒がれる日本で何が起こっているのか理解しようとも頭が働かない。 世界中が今、日本を見守っている。世界中がPray for Japanと声を掛け合っている。prayは必ずしもキリスト教的な祈りを意味する言葉ではない。日本にも祈りという文化は遠い昔から存在し、ただ単純に現代人がそれをあまりにも蔑ろにしてきただけだ。同時に、日本人は無宗教だとも簡単には言えない。神道という名のコモンセンスを土台に、仏教、儒教、ヒンドゥー教など様々な宗教が共存する特別な宗教をもつからである。福の象徴として信仰される七福神などはとても良い例である。そしてそれこそが日本にキリスト教の様な一神教が根付かなかった理由である。
「神無月」という月の名の由来にはいくつもの説があるが、一つの説によると、旧暦十月の神迎祭では日本中の神々が出雲大社に集うため、各地から神がいなくなることに所以するという。安政二年のその神無月の頃、江戸をのちに安政の大地震と呼ばれる大型の直下型地震が襲った。この大地震により、四千三百人もの人が命を失い、江戸は大打撃を受けた。江戸の人々はこの地震の原因を、鹿島神宮の要石や剣で統御されていた大ナマズが、武甕槌大神のいない隙に大暴れしたしたからだと噂した。 「揺らぐとも よもや抜けじの要石 鹿島の神のあらんかぎりは」
これはその地震の後に広まった、神道的な考えに基づく祈りである。この詩は日頃から武甕槌大神がその大ナマズを封じ込めていることに関する感謝の思いを詠う。その思いは、神話や伝承を超えて、気づかぬところで自分を支えてくれている数多くの存在に対する認識と感謝である。prayがもたらすものは、日本人として改めて日本を考える機会。そして、誰しもが家を持ちえ凍えず、暖かいご飯を食べ、家族皆で笑いあうことができる、そんな平凡な幸せに感謝する機会。何も気にせず電気を使えるのは、どこかで誰かがその大量の電気が作るために働いているから。おいしい水を飲むことができるのは、誰かが水道を整備して、浄水場で働いている人がいるから。電話で話ができるのは、回線がつながり、基地局で働いている人がいるから。遠くでも手紙を送ることができるのは、住所があって、それを届ける人と、整った道路があるから。そしてそんな日本があるのは、過去の人たちが血のにじむような努力をしてきたから。一見平凡な毎日は、本当は幸せであり、そんな幸せは、多くの支えてくれる人の上に成り立っている。
そして同時に決して忘れてはならないことは、世界中のほかの国々に対する感謝である。二〇一〇年五月三〇日に行われた日本創新党キックオフ大会で櫻井よしこはこう指摘した。現在地球上の人口はおよそ七十億人。そしてこの人口を養うための石油や食料などといった海上物流は年間七十億トン。平均すれば一億人に対して一億トンのこの中で、人口一億二千五百万人の我が国がその十億トンを占めている。この十億トンがあって、初めて我が国の国民生活は守られている。その意味を日本人はきちんと理解しなくてはならない。外務省の発表によると、15日の時点で、東日本大震災に対する各国からの支援の申し入れが、過去最大102カ国・地域と14機関に上ったという。
平和ぼけした日本人は、どこかで幸せの意味や感謝する意味を忘れてしまったように感じる。革新などという言葉と共に、大切な文化や精神を疎かにしすぎてきた。先日石原都知事の口にした「天罰」という言葉が、その意味をねじ曲げられてマスコミから総叩きを受けた。しかし恐らく彼の意味した「天罰」とは、欲に駆られ、利己主義に走り始め、伝統や感謝の気持ちを忘れ始めた多くの日本人に対する警告ということだったのであろう。彼は、今回の災害で悔しくも生活や生命を失った多くの人々が、そんな日本人だったとは間違っても言ってはいない。彼らは間違いなく犠牲者だ。だからこそ、その思いを無駄にしないためにも、辛くあるがこれを機と捉え、日本人は本来の日本の姿を取り戻さねばならない。という意味だったのであろう。
震災は理不尽である。罪のない多くの人の命を一瞬にして奪い去る。人間の無力さに絶望するばかりである。辛い。とても辛い。悔し涙が止まらない。しかし、ここで絶望して止まってはいけない。辛いときだからこそ、感謝の気持ちを強く持って、現実に立ち向かって行かなくてはいけない。見えないところで多くの人が頑張っている。本当に心から祈っている人が、懸命に戦い続けている人がいる。日本人は、太古から惟神の道を信じて、幾度と連なる危機をも乗り越えその歴史を積み上げてきた。日本人なら、そして日本人だからこそこの絶望を乗り切ることができると信じている。本当の意味での神国の底力を信じている。
「神無月」という月の名の由来にはいくつもの説があるが、一つの説によると、旧暦十月の神迎祭では日本中の神々が出雲大社に集うため、各地から神がいなくなることに所以するという。安政二年のその神無月の頃、江戸をのちに安政の大地震と呼ばれる大型の直下型地震が襲った。この大地震により、四千三百人もの人が命を失い、江戸は大打撃を受けた。江戸の人々はこの地震の原因を、鹿島神宮の要石や剣で統御されていた大ナマズが、武甕槌大神のいない隙に大暴れしたしたからだと噂した。 「揺らぐとも よもや抜けじの要石 鹿島の神のあらんかぎりは」
これはその地震の後に広まった、神道的な考えに基づく祈りである。この詩は日頃から武甕槌大神がその大ナマズを封じ込めていることに関する感謝の思いを詠う。その思いは、神話や伝承を超えて、気づかぬところで自分を支えてくれている数多くの存在に対する認識と感謝である。prayがもたらすものは、日本人として改めて日本を考える機会。そして、誰しもが家を持ちえ凍えず、暖かいご飯を食べ、家族皆で笑いあうことができる、そんな平凡な幸せに感謝する機会。何も気にせず電気を使えるのは、どこかで誰かがその大量の電気が作るために働いているから。おいしい水を飲むことができるのは、誰かが水道を整備して、浄水場で働いている人がいるから。電話で話ができるのは、回線がつながり、基地局で働いている人がいるから。遠くでも手紙を送ることができるのは、住所があって、それを届ける人と、整った道路があるから。そしてそんな日本があるのは、過去の人たちが血のにじむような努力をしてきたから。一見平凡な毎日は、本当は幸せであり、そんな幸せは、多くの支えてくれる人の上に成り立っている。
そして同時に決して忘れてはならないことは、世界中のほかの国々に対する感謝である。二〇一〇年五月三〇日に行われた日本創新党キックオフ大会で櫻井よしこはこう指摘した。現在地球上の人口はおよそ七十億人。そしてこの人口を養うための石油や食料などといった海上物流は年間七十億トン。平均すれば一億人に対して一億トンのこの中で、人口一億二千五百万人の我が国がその十億トンを占めている。この十億トンがあって、初めて我が国の国民生活は守られている。その意味を日本人はきちんと理解しなくてはならない。外務省の発表によると、15日の時点で、東日本大震災に対する各国からの支援の申し入れが、過去最大102カ国・地域と14機関に上ったという。
平和ぼけした日本人は、どこかで幸せの意味や感謝する意味を忘れてしまったように感じる。革新などという言葉と共に、大切な文化や精神を疎かにしすぎてきた。先日石原都知事の口にした「天罰」という言葉が、その意味をねじ曲げられてマスコミから総叩きを受けた。しかし恐らく彼の意味した「天罰」とは、欲に駆られ、利己主義に走り始め、伝統や感謝の気持ちを忘れ始めた多くの日本人に対する警告ということだったのであろう。彼は、今回の災害で悔しくも生活や生命を失った多くの人々が、そんな日本人だったとは間違っても言ってはいない。彼らは間違いなく犠牲者だ。だからこそ、その思いを無駄にしないためにも、辛くあるがこれを機と捉え、日本人は本来の日本の姿を取り戻さねばならない。という意味だったのであろう。
震災は理不尽である。罪のない多くの人の命を一瞬にして奪い去る。人間の無力さに絶望するばかりである。辛い。とても辛い。悔し涙が止まらない。しかし、ここで絶望して止まってはいけない。辛いときだからこそ、感謝の気持ちを強く持って、現実に立ち向かって行かなくてはいけない。見えないところで多くの人が頑張っている。本当に心から祈っている人が、懸命に戦い続けている人がいる。日本人は、太古から惟神の道を信じて、幾度と連なる危機をも乗り越えその歴史を積み上げてきた。日本人なら、そして日本人だからこそこの絶望を乗り切ることができると信じている。本当の意味での神国の底力を信じている。
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ボストン・ニューヨーク旅行
- 2011/01/12(水) 15:45:51
冬のフェイエットビルは極端に人気を失う。それもそのはず、人口のおよそ三分の一がアーカンソー大学の学生であるこの町にとって、夏休み、冬休みといった長期休暇は彼らの帰省の時期であるからだ。キャンパス内を歩いてみるとその違いははっきりと分かる。忙しそうに行き交う人の影は確かにどこにも見あたらない。背後でサラサラと音がして振り返ってみると、木の枝に薄く積もった雪の層が風に揺られて散った音だった。昨日の雪がまるで嘘のように、空には雲一つ見あたらない。少しだけ肌寒くはあるが、柔らかな光が降り注ぎ、少し遅めの小春日和に出会った気分だ。
キャンパスを少し歩くと、アーカンソー州の高等教育の象徴として一八七五年に建造されたOld Mainという建物が、鐘楼と時計台をそれぞれ両側にそびえ立たせる。北側の鐘楼が南側の時計台よりも少しだけ高く作られている理由は、建築当時のアメリカは南北戦争後の再統合期であり、勝者の北軍が政治的に強い権力を握っていた時代だったという事実に関係するという。
南北戦争は、奴隷解放を支持するリンカーンの大統領就任を発端に、新興工業国として発展しようとする北部と、奴隷制度を維持し大規模農業で発展しようとする南部とが激しく対立した内戦である。そんな内戦のさなか一八六二年にリンカーンは奴隷解放宣言を発表し、これにより国内の奴隷解放運動が加速された。
何気なく存在する建造物でも、特に意味のなさそうな場所でも、その背景を知ると途端に世界が広がる気がする。去年の一二月の終わりから今年の頭まで、ボストンとニューヨークへ旅行をしてきて、そのようなことを幾度も実感した。記憶の彼方に消えてしまう前に、簡単に文章にしておこうと思う。
ボストン近辺は、アメリカでもとても古い開拓地のひとつである。一七世紀、イギリス国教会に反発した清教徒は、信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗って、ボストンの南東、プリマスの地に渡ってきた。彼ら、ピルグリムファーザーズが移住した一六二一年の冬は大変厳しく、近隣のインディアン、ワンパノアグ族の助け無しには彼らは生き延びることができなかった。その翌年の秋、豊作を祝って、ピルグリムとインディアンが感謝祭を開いたのがサンクスギビングの始まりだという。現在のアメリカ人の六人に一人はピルグリムの子孫であると言うから驚きである。
ボストンの開発は、その十年後にイングランドから渡って来た清教徒達によって行われ、以来長きに渡りアメリカ最大の街であり続けた。現在、街の中心部の道路には、アメリカ最古の都市公園、ボストンコモンを出発地点にフリーダムトレイルと呼ばれる全長約4kmに渡る赤いラインが引かれている。そのラインを辿っていくと、この街の主要な観光地を網羅することができるという面白い発想である。そしてここから見えてくる物は、アメリカの独立までの歴史と、その後の姿である。
「代表無くして課税無し」というスローガンは、この時代、イギリス議会にアメリカから選出された議員はいないにもかかわらず、砂糖税法や印紙税法などアメリカに対する課税を勝手に可決されたことに対する反発から生まれた。
フリーダムトレイル上に見つかる旧マサチューセッツ集会議事堂のすぐ東側では、イギリス軍により、そんな群衆を鎮圧しようとボストン虐殺と呼ばれる事件が引き起こされ、アメリカ人の中で反イギリスの感情が急高騰した。また一七七三年、同じくフリーダムトレイル上に見られるオールドサウス集会場ではボストン茶会事件の決起集会が開かれ、独立派の人々によって東インド会社の船に積んであった茶箱がボストン港に投げ入れられ、二国の対立は決定的な物となった。そして一七七五年、民兵を束ねたアメリカ軍と、ボストンコモンを出発したイギリス軍によってレキシントン・コンコードの戦いが始まり、アメリカ独立戦争の火蓋が切られた。
翌年アメリカは独立宣言を採択し、結果として一七八三年に遂に独立を勝ち得た。「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」という学問のすすめの冒頭は、実はこの独立宣言からの引用である。この独立によってアメリカが目指したものは、すべての人間に対する基本的人権を認める国家であった。ただし、ここでいう「全ての人間」に、黒人やインディアンが含まれていなかったことがアメリカが次に直面しなければならない問題であった。この独立の時点でアメリカは75万人という数の奴隷を抱え込んでいたからだ。フリーダムトレイル上にある、パークストリート教会では、初めての奴隷制度反対演説が行われたことで有名だという。
ボストンからバスで西に四時間ほど、アメリカ最大の都市ニューヨークに訪れた際に、ハーレム・ゴスペル・クワイアという世界的に有名なゴスペルグループの公演を見る機会を得た。ゴスペルの歴史を見てみると、それはアメリカに奴隷としてかり出された黒人の間で、神に救いを求める歌として生まれたという。人権を与えられない彼らは、その苦しみや辛さを恨みではなく、歌に変えて歌い続けた。それ故に彼らの本気で歌う姿には心を打たれるのだ。最後にウィ・アー・ザ・ワールドを熱唱する彼らの姿が強く目に焼き付いている。
二〇〇九年には黒人初の大統領が選出され、今年はキング牧師の祝日が制定されて二五年の節目の年だという。
しかし忘れてはいけないことは、何事もバランスが大切なことである。近年、差別問題を通り越して、逆差別などという現象が問題になりつつある。例えば二〇〇九年、コネティカット州では、白人に対する逆差別に関する最高裁判決が下された。昇進試験の結果、黒人受験者が一人も昇進できなくなったのだが、これを人種差別だと訴えられることを懸念した市当局がその試験結果を破棄し、白人受験者らからも昇進の機会を逃したという事例に対してである。
この記事を読んで、アメリカに来たばかりの頃、軽く冗談で言ったことに対して「あなたは人種差別主義者なの?」と聞かれて驚いたことを思い出す。今考えてみると、そんな疑問を投げかけてきた彼女は、差別撤廃に敏感になりすぎてどこか心の余裕を失ってしまっていたように思えてならない。ステレオタイピングというものは人間が物事を効率的に認識することができるように発達した能力であって、過度にそれを否定することは、人種差別の解決策には決してなり得ないだろう。
ブロードウェイで見た、アベニューQというミュージカルの一シーンがそんな的を得ていたように感じた。日本人、ユダヤ人、ゲイ、少数民族など色々な登場人物が集まるところで彼らはこんな歌を歌っていた。
「誰もが少しは人種差別しちゃう。たまにはね。犯罪になるほどじゃないけど、人種を全く気にしない人なんているはずない。誰でも人種で人を判断することはあるんだよ。」
日本人がRとLをうまく使い分けられないのも事実であり、ブラックジョークを聞いて面白いのも感じるのも自然であるし、ユダヤ人が金にがめついイメージだって誰でも持ってしまっているのだから仕方がない。戦争問題にしても人権問題にしても、大切なことは、誰もが持ちうるそんな偏見等を全否定することではなく、それを理解した上でどうやって個々を尊重していくかなのであろう。
キャンパスを少し歩くと、アーカンソー州の高等教育の象徴として一八七五年に建造されたOld Mainという建物が、鐘楼と時計台をそれぞれ両側にそびえ立たせる。北側の鐘楼が南側の時計台よりも少しだけ高く作られている理由は、建築当時のアメリカは南北戦争後の再統合期であり、勝者の北軍が政治的に強い権力を握っていた時代だったという事実に関係するという。
南北戦争は、奴隷解放を支持するリンカーンの大統領就任を発端に、新興工業国として発展しようとする北部と、奴隷制度を維持し大規模農業で発展しようとする南部とが激しく対立した内戦である。そんな内戦のさなか一八六二年にリンカーンは奴隷解放宣言を発表し、これにより国内の奴隷解放運動が加速された。
何気なく存在する建造物でも、特に意味のなさそうな場所でも、その背景を知ると途端に世界が広がる気がする。去年の一二月の終わりから今年の頭まで、ボストンとニューヨークへ旅行をしてきて、そのようなことを幾度も実感した。記憶の彼方に消えてしまう前に、簡単に文章にしておこうと思う。
ボストン近辺は、アメリカでもとても古い開拓地のひとつである。一七世紀、イギリス国教会に反発した清教徒は、信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗って、ボストンの南東、プリマスの地に渡ってきた。彼ら、ピルグリムファーザーズが移住した一六二一年の冬は大変厳しく、近隣のインディアン、ワンパノアグ族の助け無しには彼らは生き延びることができなかった。その翌年の秋、豊作を祝って、ピルグリムとインディアンが感謝祭を開いたのがサンクスギビングの始まりだという。現在のアメリカ人の六人に一人はピルグリムの子孫であると言うから驚きである。
ボストンの開発は、その十年後にイングランドから渡って来た清教徒達によって行われ、以来長きに渡りアメリカ最大の街であり続けた。現在、街の中心部の道路には、アメリカ最古の都市公園、ボストンコモンを出発地点にフリーダムトレイルと呼ばれる全長約4kmに渡る赤いラインが引かれている。そのラインを辿っていくと、この街の主要な観光地を網羅することができるという面白い発想である。そしてここから見えてくる物は、アメリカの独立までの歴史と、その後の姿である。
「代表無くして課税無し」というスローガンは、この時代、イギリス議会にアメリカから選出された議員はいないにもかかわらず、砂糖税法や印紙税法などアメリカに対する課税を勝手に可決されたことに対する反発から生まれた。
フリーダムトレイル上に見つかる旧マサチューセッツ集会議事堂のすぐ東側では、イギリス軍により、そんな群衆を鎮圧しようとボストン虐殺と呼ばれる事件が引き起こされ、アメリカ人の中で反イギリスの感情が急高騰した。また一七七三年、同じくフリーダムトレイル上に見られるオールドサウス集会場ではボストン茶会事件の決起集会が開かれ、独立派の人々によって東インド会社の船に積んであった茶箱がボストン港に投げ入れられ、二国の対立は決定的な物となった。そして一七七五年、民兵を束ねたアメリカ軍と、ボストンコモンを出発したイギリス軍によってレキシントン・コンコードの戦いが始まり、アメリカ独立戦争の火蓋が切られた。
翌年アメリカは独立宣言を採択し、結果として一七八三年に遂に独立を勝ち得た。「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」という学問のすすめの冒頭は、実はこの独立宣言からの引用である。この独立によってアメリカが目指したものは、すべての人間に対する基本的人権を認める国家であった。ただし、ここでいう「全ての人間」に、黒人やインディアンが含まれていなかったことがアメリカが次に直面しなければならない問題であった。この独立の時点でアメリカは75万人という数の奴隷を抱え込んでいたからだ。フリーダムトレイル上にある、パークストリート教会では、初めての奴隷制度反対演説が行われたことで有名だという。
ボストンからバスで西に四時間ほど、アメリカ最大の都市ニューヨークに訪れた際に、ハーレム・ゴスペル・クワイアという世界的に有名なゴスペルグループの公演を見る機会を得た。ゴスペルの歴史を見てみると、それはアメリカに奴隷としてかり出された黒人の間で、神に救いを求める歌として生まれたという。人権を与えられない彼らは、その苦しみや辛さを恨みではなく、歌に変えて歌い続けた。それ故に彼らの本気で歌う姿には心を打たれるのだ。最後にウィ・アー・ザ・ワールドを熱唱する彼らの姿が強く目に焼き付いている。
二〇〇九年には黒人初の大統領が選出され、今年はキング牧師の祝日が制定されて二五年の節目の年だという。
しかし忘れてはいけないことは、何事もバランスが大切なことである。近年、差別問題を通り越して、逆差別などという現象が問題になりつつある。例えば二〇〇九年、コネティカット州では、白人に対する逆差別に関する最高裁判決が下された。昇進試験の結果、黒人受験者が一人も昇進できなくなったのだが、これを人種差別だと訴えられることを懸念した市当局がその試験結果を破棄し、白人受験者らからも昇進の機会を逃したという事例に対してである。
この記事を読んで、アメリカに来たばかりの頃、軽く冗談で言ったことに対して「あなたは人種差別主義者なの?」と聞かれて驚いたことを思い出す。今考えてみると、そんな疑問を投げかけてきた彼女は、差別撤廃に敏感になりすぎてどこか心の余裕を失ってしまっていたように思えてならない。ステレオタイピングというものは人間が物事を効率的に認識することができるように発達した能力であって、過度にそれを否定することは、人種差別の解決策には決してなり得ないだろう。
ブロードウェイで見た、アベニューQというミュージカルの一シーンがそんな的を得ていたように感じた。日本人、ユダヤ人、ゲイ、少数民族など色々な登場人物が集まるところで彼らはこんな歌を歌っていた。
「誰もが少しは人種差別しちゃう。たまにはね。犯罪になるほどじゃないけど、人種を全く気にしない人なんているはずない。誰でも人種で人を判断することはあるんだよ。」
日本人がRとLをうまく使い分けられないのも事実であり、ブラックジョークを聞いて面白いのも感じるのも自然であるし、ユダヤ人が金にがめついイメージだって誰でも持ってしまっているのだから仕方がない。戦争問題にしても人権問題にしても、大切なことは、誰もが持ちうるそんな偏見等を全否定することではなく、それを理解した上でどうやって個々を尊重していくかなのであろう。
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